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鴻鵠の志なんか知らない

人生無計画ガチ勢の悪あがき

心技体ってなに

大学で前に教授と話した時「君、合気道をやってるんだよね?じゃあ、もうちょっと頑張って勉強しないと。合気道っていうのは、根性とか鍛えないの?」といわれたことがあります。

このセリフ、ほぼほぼ原文ママなのだけど、今思い出すと中々ムカついてくる。

まあ、それいいとして、本題は「合気道っていうのは、根性とか鍛えないの?」ということ。

 

武道の心技体の心って何?

 

合気道に限らず、武道でいう心技体に対する世間のイメージというと

心=優しさ、根性

技=テクニック

体=体力

というイメージだと思います。僕も実際に武道をやるまではそんなイメージでした。

 

技と体はいいと思います。技を磨き、体を鍛える。

僕が気になるのは心です。空手でも柔道でも合気道でも結局武道っていうのは人を傷つけて、自分だけが相手に勝つための技術形体の事です。なんで、それを鍛えて、人に優しくなったりできるのでしょう?

 

多くの場合、「人を傷つける方法を学ぶ事で、逆に優しさを学べる」と異様な説明がされるようですが、でも、それは無理があると思いませんか。

 

結論を言うと、武道をやっても人には優しくならないし、根性もつかないです。

 

こんなこと言うと、「そんなことない!」「お前はなにもわかってない!」「なんて捻くれた人間なんだ!」という非難も飛んできそうですが、ブログタイトルの通り、そんな立派な意見なんて知らないので、僕は僕の思ったことを書きます。

 

 じゃあなんで心を鍛えるの?

なんで心を鍛えるの?

これの答えを見つけるには、そもそも心って何?ということを考えないといけないです。

 

心は心技体一体で考えられるわけですから、「何か心を鍛えることによって、武道的な得を得られる物」だと考えるのが自然でしょう。つまり、心=武道に役立つメンタル、ということです。

 

そもそも、武道ってなんでしょう。

武道の発祥は、明らかに戦争における技術です。剣道も弓道も柔道空手道も戦争でいかに生き残るか?ということを突き詰めた技術形体です。

 

ところで、皆さんは餓狼伝という漫画をご存知ですか?まあ、あらすじは今関係ないので置いておきますけど、その漫画の中に空手の達人という人が出てきまして、その人が試合前のインタビューでいうセリフがなかなか分かりやすいので引用しますね

「あなたは空手で人格形成ができると思いますか」

「厳しさなんてどんな道にも存在するのです 書道にも 釣りにも ジョギングにも」

「空手は人を殺傷する術です」

「私たちは告白すべきなのです 喧嘩に負けたくないから(空手を)やってんだ」

 一部省略&追加しましたけど、要は「人格の形成の修行なんてどんなことでもできる。空手は喧嘩に勝つためのもの」と言っているんです。

 

てことは、心とは喧嘩に勝つための心の鍛錬ということになりますね。

 

まとめると

心=喧嘩に勝つための心の鍛錬

なんで鍛えるの?=喧嘩に勝つため

 

具体的にどういう心を指すの?

じゃあ、具体的にはどういう心が喧嘩に勝つための、喧嘩に勝てる心なんでしょう。

結論から言うと「何事にもとらわれない、動じない心」のことだと思います。

 

去年、現合気会最高段位を持っていらっしゃる多田宏師範の講習会に参加した時、師範の言葉で印象に残ったものを紹介します。

「昔の侍の言葉には『我が眼前に敵あり、されど我が心中に敵なし』と言う言葉がある」

目の前に敵がいても動じずにいられる心ということでしょう。

この考えは昔から様々な武道書の中にも書かれていて、例えば起倒流柔術には「我が心不動にして正静なる時は、利を得ずと云ふことなし」という言葉があります。

また、守破離という言葉にもあるように(十分に型を習得した上で)型に捕らわれないことが大切だという言葉もあります。

 

この辺りは日本の禅や仏教思想を取り入れたりもしていて、とっつきにくいかもしれないですけど、考えてみると簡単で、要するに「目の前に敵がいるのにビビっていたり油断したりしていたら勝てないよね」ということです。だからこそ、常に動じない、不動の心を持たないといけないということですね。

 

心を鍛えないといけない理由って?

心≠優しさ、根性ではないということはいいと思います。優しさとは「優しくする対象」に囚われることですし、根性は「成し遂げたい目標」に囚われることです。こう言ったものは、武道とはあまり相性が良くないように僕は考えます。実際、武道の達人のエピソードなんかを聞くと、皆さん中々性格が悪い。

 

本当に動じない心を持った人なら、道端で倒れてる人よりも自分の用事を優先するでしょうし、家族恋人を亡くしても涙ひとつ流さないでしょう。捕らわれない心も持った人間は自分の所属するコミュニティになんの執着も見せないでしょうね。

 

そう言った人間は現代社会ではあまり受け入れられないように思います。それでも現代社会の中で武道を学び、心を鍛える意味があるとしたらなんでしょう?

僕はそれは「優しくなれるから」だと思います。

 

いやお前冒頭で心=優しさ説否定しとるやないかーい、と言われそうですけど、いや、待って、聞いて。

 

皆さん、人に優しくするには何が必要だと思います?思いやり?人生経験?いや、一番必要なのは心の余裕ですよ。

自分のことで精一杯の人には、他人に優しくするなんてできないですし、そもそも、他人のことが見えなくなります。

でも、武道的な心を鍛えた人ならば、何事にも動じず冷静でいられれば心の余裕を無くすことはないでしょう。そして、人に優しくするあまり、自分へのリソースを失うということも無いでしょう。

 

自他共栄という言葉もありますが、まさにそれを実行可能にするのが武道だと思います。世間の優しさというのが、「滅私奉仕」的な意味を含むことも多々あるように思いますが、そう言った優しさは歪んでしまいがちだし、滅私なんかしてたら死んでします。

 

武道をすることによって自分と他者どちらも冷静にみることができるようになる。その結果として生まれる優しが、本当の武道的な優しさでは無いでしょうか。