鴻鵠の志なんか知らない

人生無計画ガチ勢の悪あがき

院試合格しました

タイトルの通りです。大学院前期博士課程一般選抜に合格しました。

 

正直大学に入ってから勉強というものをほっっっっとんどしてこなかったので、0スタートに近い院試勉強だったのですけど、なんとかなりました。案外、詰め込みに近い形でやったほうが、分野間の連携がわかりやすくて良いと感じることもありました(飽くまでテストに通るということだけを考えた場合ですけど)

 

以下、院試勉強の感想

 

 古典力学

理解自体は簡単。ただ、計算がとにかくややこしくなることが多い。

微小の二次はとにかく無視。

何はともあれ微分方程式を作ればなんとかなる

電磁気学

マジで最後まで理解できなかった。

"電場""磁場"といった場の理論が分からない、ということが分かった。まあ、何が分からないかわかっただけで進歩かな。

 

量子力学

量子力学でひとくくりにされているけど、シュレンディンガー方程式と角運動量で実質二分野じゃね?とおもった。

理解できると面白いらしいんだけど、うん、まあ、面白いなんて言いたかねえや。

 

熱・統計

一番得意だった。苦手意識を勝手に持っていたけど、真面目にやると意外と行けた。

特に統計は分配関数を求めれば大体OKなので最悪それだけでどうにかなる(多分)

amazarashi ライブ 6/17 感想

Message bottle仙台公演行ってきましたので、感想を、まあ、このブログの更新もしないとなと思ったので。

 

セトリをいちいち追って行くような感想は冗長になるのでしません。印象に残ったことを書き連ねていきます。時系列も多分ぐちゃぐちゃです。

 

新曲「たられば」

正直、秋田日記で歌詞見たときはあまり、期待してなかったというか、好きな感じの曲ではないのかなと思ってました、でも、ライブで聴くとやっぱり印象変わりますね。最初の入りで泣きそうになりました。

 

最近は「命にふさわしい」とか、「数え歌」とか、人生や倫理や世界を歌ったような曲が多くて、秋田さんは壮大なテーマを歌いたのかなーと思ってたんですけど、一転して人間臭い歌詞、とても良かったです。あの歌で歌ってるのは全て仮定のこと=一つも達成できてないことだと思ったので、ちっぽけな人間としての秋田さんの自覚と肯定の歌かなと思いました。

 

メーデーメーデー

前にツイッターで言ったんですけど、嫌いなポエトリーです。二番の自殺した男について他人の不幸を勝手に妄想してるのが気持ち悪い。

でもライブの映像は好きでした。amazarashiは映像込みでのパフォーマンスだと思ってるので、その点ではとても良かったです。

 

タクシードライバー

映像がとても良かったです。

道路の映像を映してるだけといえばだけなのですけど、モノクロで、寂寞とした感じが出て良かったです。「仕事うまく行かなくて満員電車で帰る気力もなく金もないのにタクシー使ったけど運転手の話し相手にされて面倒だなと思ったら意外といいこと言ってて少し頑張ろうと思えた」感じが出てた(感想が長い)

 

仙台pit 

長町駅から近くて良かったけど、土地がないのか道路以外にたむろする場所がほとんどなかった。もうちょっと広い待合所みたいなスペースがあるといいなーと思った。

命にふさわしい

amazarashiの新譜を買ってきたので、感想をポツポツと

 

命にふさわしい

最初の感想は「秋田さん、歌うまくなった?」

圧倒的上から目線ですけど、まあ、正直かなりうまくなってません?専門家じゃないので何も分析とかはできないですけど。

 

MVも面白かったですね(interestの意味)MVがなかなか不気味で賛否両論でしたけど、僕は結構好きでした。昔やったゲームに出てくる捨てられた人形兵士を思い出しました。

 

歌詞は命を(懸けるのに)ふさわしい、命を(捨てるのに)ふさわしい、と、秋田さんが思っていることを歌っているように思います。

夜の歌で「僕らは朝を待っていやしない」と歌った秋田さんが、今回は「全部が報われる朝を(待っている)」と歌っています。amazarashiの楽曲で他に待っているものといえば「僕らは昨日を待っている」と歌ったこともありました。共通するのは、今までの苦労全てをキャンセルできるような大きな救い、と言うところでしょうかね。

 

「世界を欺くに値する僕らのこれまでは」

amazarashiの歌詞の中によくある反社会性。自分たちの過去と、それを克服するためなら世界を騙してもいい、と歌っています。

秋田さんの中で「思い出」「過去」「これまで」は、あまり、いい意味では使われないようです。前に進もうとする自分を引き止める重石というニュアンスが多いと思いますね。代表的なのは「初雪」

 

「そんなに悲しむことなんてなかったのにな」

この歌詞があるってことは苦しみを乗り越えた人が、過去の苦しんでいた自分をみて、この歌を歌っているということでしょうか。まあ、最後に「心さえなかったなら」と歌っているところからも、そう考えていいでしょう。

 

幽霊

事前にツイッターの公式アカウントで詩を見てからずっと楽しみだったポエトリー。

 

詩の全てから虚無感、疲労感が伝わってくる気がします。そして、それが絶望感という強いところまで行かない絶妙の塩梅で表現されていて、かなり好きなポエトリーですね。

 

特に「幽霊 夕暮れ 留守電 がらんどうの部屋」考えただけでゾッとします。

 

数え歌

あんまり好きじゃないんですよね。

すごい倫理的な歌だと思います。でも、「こうありたいけど、そんなの無理だよね。ああ、なんて俺はダメなやつなんだ」ていう曲だ思う。

 

頭韻を踏みつつ、歌詞を成立させる。ポエトリーに近い構成でしょうか。

 

「足し引きゼロで眠りたい」

この曲だけではないんですけど、最近のamazarashiから感じる、安寧の場所を探している感をかんじます。最近、秋田さんは虚無に侵されているそうなので、そのせいでしょうか。

 

心技体ってなに

大学で前に教授と話した時「君、合気道をやってるんだよね?じゃあ、もうちょっと頑張って勉強しないと。合気道っていうのは、根性とか鍛えないの?」といわれたことがあります。

このセリフ、ほぼほぼ原文ママなのだけど、今思い出すと中々ムカついてくる。

まあ、それいいとして、本題は「合気道っていうのは、根性とか鍛えないの?」ということ。

 

武道の心技体の心って何?

 

合気道に限らず、武道でいう心技体に対する世間のイメージというと

心=優しさ、根性

技=テクニック

体=体力

というイメージだと思います。僕も実際に武道をやるまではそんなイメージでした。

 

技と体はいいと思います。技を磨き、体を鍛える。

僕が気になるのは心です。空手でも柔道でも合気道でも結局武道っていうのは人を傷つけて、自分だけが相手に勝つための技術形体の事です。なんで、それを鍛えて、人に優しくなったりできるのでしょう?

 

多くの場合、「人を傷つける方法を学ぶ事で、逆に優しさを学べる」と異様な説明がされるようですが、でも、それは無理があると思いませんか。

 

結論を言うと、武道をやっても人には優しくならないし、根性もつかないです。

 

こんなこと言うと、「そんなことない!」「お前はなにもわかってない!」「なんて捻くれた人間なんだ!」という非難も飛んできそうですが、ブログタイトルの通り、そんな立派な意見なんて知らないので、僕は僕の思ったことを書きます。

 

 じゃあなんで心を鍛えるの?

なんで心を鍛えるの?

これの答えを見つけるには、そもそも心って何?ということを考えないといけないです。

 

心は心技体一体で考えられるわけですから、「何か心を鍛えることによって、武道的な得を得られる物」だと考えるのが自然でしょう。つまり、心=武道に役立つメンタル、ということです。

 

そもそも、武道ってなんでしょう。

武道の発祥は、明らかに戦争における技術です。剣道も弓道も柔道空手道も戦争でいかに生き残るか?ということを突き詰めた技術形体です。

 

ところで、皆さんは餓狼伝という漫画をご存知ですか?まあ、あらすじは今関係ないので置いておきますけど、その漫画の中に空手の達人という人が出てきまして、その人が試合前のインタビューでいうセリフがなかなか分かりやすいので引用しますね

「あなたは空手で人格形成ができると思いますか」

「厳しさなんてどんな道にも存在するのです 書道にも 釣りにも ジョギングにも」

「空手は人を殺傷する術です」

「私たちは告白すべきなのです 喧嘩に負けたくないから(空手を)やってんだ」

 一部省略&追加しましたけど、要は「人格の形成の修行なんてどんなことでもできる。空手は喧嘩に勝つためのもの」と言っているんです。

 

てことは、心とは喧嘩に勝つための心の鍛錬ということになりますね。

 

まとめると

心=喧嘩に勝つための心の鍛錬

なんで鍛えるの?=喧嘩に勝つため

 

具体的にどういう心を指すの?

じゃあ、具体的にはどういう心が喧嘩に勝つための、喧嘩に勝てる心なんでしょう。

結論から言うと「何事にもとらわれない、動じない心」のことだと思います。

 

去年、現合気会最高段位を持っていらっしゃる多田宏師範の講習会に参加した時、師範の言葉で印象に残ったものを紹介します。

「昔の侍の言葉には『我が眼前に敵あり、されど我が心中に敵なし』と言う言葉がある」

目の前に敵がいても動じずにいられる心ということでしょう。

この考えは昔から様々な武道書の中にも書かれていて、例えば起倒流柔術には「我が心不動にして正静なる時は、利を得ずと云ふことなし」という言葉があります。

また、守破離という言葉にもあるように(十分に型を習得した上で)型に捕らわれないことが大切だという言葉もあります。

 

この辺りは日本の禅や仏教思想を取り入れたりもしていて、とっつきにくいかもしれないですけど、考えてみると簡単で、要するに「目の前に敵がいるのにビビっていたり油断したりしていたら勝てないよね」ということです。だからこそ、常に動じない、不動の心を持たないといけないということですね。

 

心を鍛えないといけない理由って?

心≠優しさ、根性ではないということはいいと思います。優しさとは「優しくする対象」に囚われることですし、根性は「成し遂げたい目標」に囚われることです。こう言ったものは、武道とはあまり相性が良くないように僕は考えます。実際、武道の達人のエピソードなんかを聞くと、皆さん中々性格が悪い。

 

本当に動じない心を持った人なら、道端で倒れてる人よりも自分の用事を優先するでしょうし、家族恋人を亡くしても涙ひとつ流さないでしょう。捕らわれない心も持った人間は自分の所属するコミュニティになんの執着も見せないでしょうね。

 

そう言った人間は現代社会ではあまり受け入れられないように思います。それでも現代社会の中で武道を学び、心を鍛える意味があるとしたらなんでしょう?

僕はそれは「優しくなれるから」だと思います。

 

いやお前冒頭で心=優しさ説否定しとるやないかーい、と言われそうですけど、いや、待って、聞いて。

 

皆さん、人に優しくするには何が必要だと思います?思いやり?人生経験?いや、一番必要なのは心の余裕ですよ。

自分のことで精一杯の人には、他人に優しくするなんてできないですし、そもそも、他人のことが見えなくなります。

でも、武道的な心を鍛えた人ならば、何事にも動じず冷静でいられれば心の余裕を無くすことはないでしょう。そして、人に優しくするあまり、自分へのリソースを失うということも無いでしょう。

 

自他共栄という言葉もありますが、まさにそれを実行可能にするのが武道だと思います。世間の優しさというのが、「滅私奉仕」的な意味を含むことも多々あるように思いますが、そう言った優しさは歪んでしまいがちだし、滅私なんかしてたら死んでします。

 

武道をすることによって自分と他者どちらも冷静にみることができるようになる。その結果として生まれる優しが、本当の武道的な優しさでは無いでしょうか。

自己紹介

自己紹介

 

東北の某F欄大学で物理を学んでいる落ちこぼれ大学生

 

趣味は読書と音楽鑑賞とか言うテンプレ人間

 

一応体育会系で合気道をやっている